【天草観光】穴場スポット:ミニ天空の城「富岡城」

散歩

こんにちは、人です。

今回は個人的にオススメな天草の観光スポットをご紹介しようと思います!

その名も「富岡城」です!

雰囲気も良くてキレイに整備されています。

さらに人が少ないのでカップルでデートなどにもオススメです!

資料館を除けば入るのは無料なので気軽に行けるのもいいポイントです!

眺め

まずは第一にこのお城がどれだけ綺麗かをご紹介したいと思います!

現在の冨岡城は写真のように本丸・二の丸・出丸と3つに分けられます。

ただ特に綺麗なのは出丸です笑

次に綺麗なのは二の丸です。

最後が本丸です。。

また、稲荷神社もあります。

また、外の景色もキレイですね!

歴史

人は歴史には疎いためここでの詳細はこちらの記事を読んでください笑

ただ、石碑には「富岡城の城歴」と称して以下のような説明がされています。

関ヶ原の戦い後に、天草の領主となった唐津藩主の寺沢広高によって慶長七年(1602) に築かれました。世間では本城の唐津城を「舞鶴城」、支城の富岡城を「臥龍城」と呼びました。寺沢堅高の時代、寛永十四年(1637) に『天草・島原の乱』が勃発し、幕府側の拠点として一揆勢から3回の攻撃を受けましたが、唐津藩の必死の守りで城が守られました。
乱の終結後、天草は築城の名手とわれた山﨑家治の領士となり、乱で傷んだ城の修理と守りの強化のための縄張り拡大が行われ、今に残る『城絵図』に描かれた姿となりました。あたかも此の時期、江戸幕府は海外列強の侵路を恐れて鎖国政策を進めており、乱を契機に外洋に面した国内最西端の富岡城を列強からの守りの最前線基地として位置づけたものと思われます。
その後、乱後の復興事業にあたった鈴木重成、茂辰代官の天時代を経て、天草が私領に戻った戸田忠昌時代の貴文十年(1670) に富岡城は、戸田氏によって破城されました。その後、忠昌は老中まで登り詰めました。
富岡城は約70年間存続しましたが、破城後も三の丸に代官所が置かれ、明治初期まで富岡は、天草行政の中心としての役割を果たしました。

また、有名な勝海舟も富岡に来たことがあるみたいです。

その他3人(頼山陽·鈴木重成·鈴木正三)の石像もありました。

頼山陽は有名なのか良く知りませんでしたが、鈴木重成と鈴木正三は富岡城に深く関係してるみたいです。

アクセス

住所:〒863-2507 熊本県天草郡苓北町富岡2240

駐車場:無料(3カ所駐車できる場所がありますので満車でもグルグル白の周りを回ってみてください!)

まとめ

いかがだったでしょうか!

熊本市内からだとかなり遠いですが、天草には海だけではなく城もキレイなところがあります!

どこかに行ったついでにでも立ち寄ってみてください!

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